かぞくとわたしについて2 : 2013年5月

ふと、自分がやっていることが家族を満足させるためかもしれないとおもったのは
2012年の12月末から2週間ちょっと日本にかえったときのこと。
この2年ぶりの帰国でいろんなことがずれはじめているのに気づいた。
最近欝が治った叔母から「ボンゴレちゃんも人のためにいきるのはやめなさいね」
といわれ。
ほかの家族にはボンゴレももう25なのに、まわりは就職もして結婚もしてるでしょうといわれたり、
アメリカで就職してもいいよ、とかもいわれ。

私は、今まで、みんなが偉いとおもう自慢できるような
学生生活を送ってきたとずっとおもっていた。
英語はアメリカ人に間違われるほどうまくなったし、
自分に自信はないけれど、エッセイだってかけるし、成績だってよかった。
カリフォルニア州立大学編入もできた。
アメリカにきて2年ほどはずっと家族を養えるくらい稼げる人間になるといい
家族の面倒をみると、心に誓っていた。
アメリカで就職してもいいなんて絶対にうそだ。
したらしたで、裏切り者扱いだ、という気持ちがあった。
すべてがショックだった。
わたしはがんばってきたつもりだった。
それが、意味のなかったことだったのかもしれないとおもった。

ていうか、わたしものごっついがんばってね?
すごいがんばったよね?
もういいよね?
他人が私とくらべて苦しいとかつらいとか、しんどいとかがんばってるとかほんとどうでもいい。
わたしはがんばったので、もうがんばりたくないので、死のう!!!!ってなった。
なんか無駄に満足してしまった。
さらには、ていうか、わたしが失敗ってなったら家族かわいそすぎるだろ!
ということは家族がしんだらいいんだ!!!
家族死なないかなぁ。
でも家族が死ぬイベントなんて、強盗とか火事とか、わりと確立低い。
じゃあわたしがやるしかないのか・・??
毒殺かー。毒殺だったら、家族はわたしがころしたってしらずにしんでいくんだろうな。
だったらいいか。

で、結局、そこまで自分追い詰められてるんだったら、
死ねばいいか。と最初にもどっていった。

過去10年以上、「死にたい」というのはずっとあった。
「死にたい」と思うことは、みんなある経験だけど、
「死のう」と確信をもって思ったとき、
いままでとはまったく違う毎日になった。
感覚がぜんぜん違う。
別に死ぬことも生きることも美しいことでもないし
死んだらなんとかなるから死にたいんでもない。
でもいちばんの解決方法って結局それしかないとおもっていた。
いまでもすこしそう思ってる。