認知の歪みと承認欲求
承認欲求とは、みんなが持っているものだけれど、
根本的に小さなころに埋めてもらえた承認欲求は大人になってからの
人生にとてもいい影響を与える。
私の場合は、いい成績をとっても、見た目が平均以上であっても、なんであっても自分で認められないということが続いていた。
10代や20代のころは、自分を認められないことをなんとかしようと、自分自身をルールで縛っていたように思う。
~だったら、~するべき。という自分のルールにのっとって行動することで、自分を認めようとしていた。なので本当にしんどかった。
夫の場合は、真実がどうであれ自分は愛されて育ったと自負がある。
尊大なものでなくて、ごくごく普通に。
この真実がどうであれというのはすごく大事で、事実にすべて照らし合わせていちいち愛されたとか愛されてないとか考えていくと、愛されてなかったんでは?と思ってしまうのだ。
ふわっとでいい。なんか愛されてたよ。そしていま生きてる。こんなかんじで十分なんだけども、それがいまいちできない。
夫と暮らし始めて、認知の歪みが治ってきたいまだからいえることは、
まずは小さな承認のコップのようを満たしてもらえたから、今自分で自信をもって生きていけるように多少なったなということ。
夫を尊敬しているし、付き合ってなかった同棲時代も尊敬しているところが多くあった。
その人に認められて、褒められて、すこしづつこれでいいのではないかと思い始めた。
結構難しいんだけどねこれが。
1歩進んで2歩さがるみたいなことを繰り返しながらとりあえず今の時点では、不安定な部分もありつつある程度自信をもって生きてる。
夫のことが嫌になったらこのブログでも読み返して思い出さないとね。